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ページ更新日:2020/09/03

初回登録:2020/09/03

三宝寺池=その5=氷川神社の祭神,相殿

三宝寺池=その5=氷川神社の祭神,相殿

「三宝寺池/さんぽうじ・いけ」の南側に「氷川神社/ひかわじんじゃ」は立地(分割表示)。「氷川神社」では、祭神「須佐之男命/スサノ・ヲノ・ミコト」相殿「稲田姫命/イナダ・ヒメノ・ミコト」,「大己貴命/オオナ・ムチノ・ミコト」。神社門の南側には、三神が御祭神として祀られ、祭日の記載があります。また同神社の案内板の表記文字と読みを適用しています。
何れも神話人物であり諸定義。異説や長い説明もありますが、参考までに下記簡易説明を参照ください。


参考画像

※1段目:2016年~氷川神社の神社門西側=御祭神(左下拡大)/案内板(右下) ※2段目=2016年=氷川神社の南側から概ね全景)~関連神社など除く ※3段目:1810年(文化7年)~1828年(文政11年)江戸古地図 ※4段目:3段目~(当時)氷川社~一部拡大 ※文京区N氏=写真,画像提供

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豊島家

豊島泰経,豊島泰明

「豊島泰経/としま・やすつね」は室町時代後期の武将。「石神井城」,「練馬城」の城主。「江古田・沼袋原の戦い」において、「太田道灌/おおた・どうかん」に敗れていますが、以降不明事項も多くあり1478年(文明10年)頃に死去。
実弟「豊島泰明/としま・やすあき」は通称「豊島平右衛門尉」。1477年(文明9年)4月13日の「江古田・沼袋原の戦い」において、「太田道灌」に敗れ死亡。

豊島泰盈

「豊島泰盈/としま・やすみつ」は幼名「平二郎」,通称「左平七兵衛」。1661年(寛文元年)に家督を継ぎ、1698年(元禄11年)には、御留守居番与力として約219石。1712年(正徳2年)に嫡男「豊島泰音」が死去、養子が家督を継承。
1713年(正徳3年)から豊島氏系図、神社,寺院の縁起奉納などを行なっています。

豊島泰音

「豊島泰音/としま・やすたか」は上記「豊島泰盈」の嫡男。実在の人物ですが、「豊島家」一族は誕生年,死去月日など、詳細不明の場合も多くあります。




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