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ページ更新日:2020/09/02

初回登録:2020/09/02

三宝寺池=その4=氷川神社の石灯籠

三宝寺池=その4=氷川神社の石灯籠

「三宝寺池/さんぽうじ・いけ」の南側に「氷川神社/ひかわじんじゃ」は立地(分割表示)。室町時代後期から「石灯籠/いしどうろう」として古地図で確認できます。室町時代からの武将「豊島氏/としま・し」の建築ですが、江戸時代前は「太田道灌/おおた・どうかん」などに敗れた一族。江戸時代は徳川幕府に仕え、「御留守居番与力」として約219石を拝領していますが、「豊島氏」の詳細一部は未確認となっています。
21世紀の現代では散歩道が整備され、散歩道のコース脇にあり、建築物は昭和(第二次世界大戦)以降と思われますが、「石灯籠」は江戸時代の物を再設置したようです。


参考画像

※1段目左右:2018年=氷川神社~石燈籠/左下上部=一部拡大 ※2段目=1699年(元禄12年)=左右一対=石燈籠(右=通称名称=竿)&左右=豊島泰盈と豊島泰音の親子~寄進,奉納=一部俗説アリ ※3段目:氷川神社~石燈籠/左下のみ=各部名称/右下=通称=竿 ※4段目:氷川神社の説明看板~文末一部 ※文京区N氏=写真,画像提供

当サイト画像説明色

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豊島家

豊島泰経,豊島泰明

「豊島泰経/としま・やすつね」は室町時代後期の武将。「石神井城」,「練馬城」の城主。「江古田・沼袋原の戦い」において、「太田道灌/おおた・どうかん」に敗れていますが、以降不明事項も多くあり1478年(文明10年)頃に死去。
実弟「豊島泰明/としま・やすあき」は通称「豊島平右衛門尉」。1477年(文明9年)4月13日の「江古田・沼袋原の戦い」において、「太田道灌」に敗れ死亡。

豊島泰盈

「豊島泰盈/としま・やすみつ」は幼名「平二郎」,通称「左平七兵衛」。1661年(寛文元年)に家督を継ぎ、1698年(元禄11年)には、御留守居番与力として約219石。1712年(正徳2年)に嫡男「豊島泰音」が死去、養子が家督を継承。
1713年(正徳3年)から豊島氏系図、神社,寺院の縁起奉納などを行なっています。

豊島泰音

「豊島泰音/としま・やすたか」は上記「豊島泰盈」の嫡男。実在の人物ですが、「豊島家」一族は誕生年,死去月日など、詳細不明の場合も多くあります。




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