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五月雨塚(さみだれ塚)

五月雨塚(さみだれ塚)

「五月雨塚(さみだれ塚)/さみだれづか」は現「(文京区)関口芭蕉庵」に建立する石碑(脇に説明看板)。句を詠んだ「松尾芭蕉(下記メモ参照)」は1677年から80年(延宝五年から八年)頃まで、「関口大洗堰」の工事監督として現「関口芭蕉庵」に滞在。当時詠んだ句とされ、現「滋賀県大津市」における「(現名称)瀬田の唐橋/せた・の・からはし」が題材(画像参照)。
「松尾芭蕉」の三十三回忌において、「山口素堂(下記メモ参照)」の弟子「長谷川馬光(下記メモ参照)」が中心となり、「五月雨に 隠れぬものや 瀬田の橋」の短冊を埋めて墓としています。
上記地図リンクでは、土地理院,Googleマップ,アース共に、概ね「関口芭蕉庵」を参照。


参考画像

※1段目:2009年(平成19年)撮影/説明看板=画像拡大 ※2段目:2016年(平成28年)=左下=芭蕉翁之墓/右下=さみだれ塚(看板) ※3段目:2016年(平成28年)11月=文京区案内板 ※4段目:2016年(平成28年)撮影/説明看板=看板は2009年(平成21年)撮影ですが非現存? ※1,2,3,4段目:文京区N氏撮影

当サイト画像説明色

五月雨塚(さみだれ塚)-1五月雨塚(さみだれ塚)-2五月雨塚(さみだれ塚)-3五月雨塚(さみだれ塚)-4

メモ

松尾芭蕉

「松尾芭蕉/まつお・ばしょう」は1644年(寛永21年)現在の「三重県伊賀市」生まれ。江戸時代前期の俳諧師として知られていますが、「関口大洗堰」の工事では工事監督者として深く関わったとされています。幼名「金作」、俳号として成人名「宗房」,「桃青」,「芭蕉(はせを)」などを使用、1694年11月28日(元禄七年10月12日)に死去。

山口素堂

「山口素堂/やまぐち・そどう」は1642年6月1日(寛永十九年5月5日)は江戸所代「甲斐国巨摩郡上教来石村」生まれ。生誕日は異説もありますが幼少時は甲府育ち、20歳前後で江戸(異説アリ)移り仕官。遅くとも1668年(元禄八年)には俳人としても活動を始め、以降は和歌,茶道,書道なども。その後は上野「不忍池」のほとりに隠棲、1685年(貞享二年)頃に葛飾に移住。郷里の治水事業に尽力したとされ、また「松尾芭蕉」との交流も知られています。
代表句として、「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」があり、同句は1678年(延宝六年)には「江戸新道」に収録されています。
1716年9月30日(享保元年8月15日)死去。

長谷川馬光

「長谷川馬光/はせがわ・ばこう」は1685年11月9日(貞享二年10月11日)。本名「須田直行」で江戸生まれの幕臣。「山口素堂」に師事、1731年(享保十六年)頃に「五色墨/ごしきずみ」を刊行、俳壇に大きな影響を与えています。
1751年5月25日(寛延四年5月1日)死去。墓は東京都墨田区の「桃青寺/とうせい・じ」に現存。

参照サイト/関連ページ

関口芭蕉庵(現代)
サイト内関連ページ
関口芭蕉庵(現代),サイト内関連ページ

現:文京区関口の「関口芭蕉庵/せきぐち・ばしょう・あん」には案内板が存在。ここでは「関口芭蕉庵」案内板に記されている1番から8番をページ毎にをまとめてあります。

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