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朱楽管江の歌碑

朱楽管江の歌碑

「朱楽管江の歌碑」は現「(文京区)関口芭蕉庵」にある歌碑。現「関口芭蕉庵」にも居住時代があり、同「関口芭蕉庵」にも歌碑が建立。歌碑は一部欠損や判読難解部分がありましたが、早稲田大学中央図書館特別資料室長「柴田光彦」によれば、「執着の心や あとに残るらん 吉野の桜 さらしなの月」、と判読し1965年(昭和40年)に発表。
また後の1791年(寛政三年)頃から、現「墨田区向島」に居住、同地の「三囲神社/みめぐり・じんじゃ」では、「執着の心や 娑婆にのこるらん 吉野の桜 さらしなの月」、と記されています。
上記地図リンクは、国土地理院では概ね「(文京区関口)関口芭蕉庵」周辺、Googleマップ,アース共に「新宿区二十騎町」から「(文京区関口)関口芭蕉庵」までを徒歩ルートで参照。


参考画像

※1段目:1965年(昭和40年)早稲田大学中央図書館特別資料室の撮影=後年PDF化 ※2段目:2008年(平成20年)撮影=文京区関口/関口芭蕉庵にて ※3段目:3段目:2016年(平成28年)11月=文京区案内板 ※1,2,3段目:文京区N氏撮影

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朱楽管江の歌碑-1朱楽管江の歌碑-2朱楽管江の歌碑-3

朱楽菅江

「朱楽菅江/あけら・かんこう」は本名「山崎景貫/やまざき・かげつら」、1738年(1740年説アリ)12月12日(元文3年または元文5年10月24日)生まれ。生誕地不明ですが、現「(新宿区)二十騎町/にじっきまち」に居住した幕臣「先手組与力/さきてぐみ・よりき」。一般的には取締り方法が相当荒く、江戸民衆から恐れられた職種。
「朱楽菅江」は特に狂歌師として知られ、通称「郷之助」、字(あざな)「道父」、俳名「貫立」、号として「朱楽館/あけらかん」,「准南堂/わいなんどう」、その他多数。また「唐衣橘洲/からごろも・きっしゅう」、「四方赤良(大田南畝)/」、と共に狂歌師三大家と呼ばれ,戯作者,洒落本作者としても知られています。1677年から1781年1月頃(延宝五年から延宝八年頃)の間に、現「(文京区)関口町」に居住。1791年(寛政三年)頃から作風が和歌に移り、不忍池の近くに隠居し号として「芬陀利華庵」と改名。
また妻「節松嫁々/ふしまつ・の・かか」も狂歌師であり、「朱楽菅江」の死去後から「朱楽連」を率いています。

参照サイト/関連ページ

関口芭蕉庵(現代)
サイト内関連ページ
関口芭蕉庵(現代),サイト内関連ページ

現:文京区関口の「関口芭蕉庵/せきぐち・ばしょう・あん」には案内板が存在。ここでは「関口芭蕉庵」案内板に記されている1番から8番をページ毎にをまとめてあります。

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