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椿山荘(文京区関口)

椿山荘(文京区関口)

「椿山荘/ちんざんそう」は現東京都文京区関口に立地。現段階では敷地内の庭園散策などを無料開放としています。当サイトでは総称「椿山荘」として、ホテル,宴会施設(結婚式場含む),庭園など、敷地内に含む関連施設の総称とさせていただきます(由来,敷地前身など下記参照)。個人的には幼少時から縁の深い所ですが、ここでは別の機会にさせて頂きます(個別ページでは記載済)。
上記地図リンクでは、国土地理院,Googleマップ,アース共に、現「ホテル椿山荘東京」の中心域を参照。


参考画像

※1段目左から:黒田直養=君津市立久留里城址資料館編「幕末維新期の久留里藩」より、山縣有朋=「近世名士写真~其1」より、藤田平太郎=華族画報社「華族画報」より、各画像をサイズ編集 ※2段目:左下1936年頃/右下1945~50年頃=Google/国土地理院(航空写真) ※3段目:1961~64年頃=Google/国土地理院(航空写真) ※4段目:2019年5月(令和元年)=椿山荘ホテル配布/案内図

当サイト画像説明色

椿山荘(文京区関口)-1椿山荘(文京区関口)-2椿山荘(文京区関口)-3椿山荘(文京区関口)-4

椿山荘:簡略史

名称由来

少なくとも南北時代(一般的には1336年から1392年)には、文字どおり「椿/つばき」の自生地として知られ、敷地内周辺は「つばき・やま」と呼ばれていたようです。他の樹木約一万本以上は第二次大戦後の移植が基礎。

江戸時代

「久留里藩/くるりはん」の江戸下屋敷。「久留里藩」は現「千葉県君津市久留里」に相当、藩主は1601年から「大須賀忠政(松平忠政)」が一代、その後「土屋忠直」など「土屋家」が三代、1649年から1742年まで入部なし、その後は初代「黒田直純」など「黒田家」が九代。

明治時代

九代目「黒田直養/くろだ・なおたか」は明治新政府に属し、1871年「廃藩置県」により「久留里藩」は廃藩。
「山縣有朋/やまがた・ありとも」が功労年金により、1878年(明治11年)に同敷地を購入「椿山荘」と命名。更に作庭が趣味だったこともあり、現「椿山荘」の基礎が完成しています。

大正時代以降

1918年(大正7年)、現:大阪府「藤田財閥」の二代目「藤田平太郎/ふじた・へいたろう」が東京の別邸として購入。
第二次世界大戦による一部焼失がありますが、1948年(昭和23年)から「藤田興業」の所有地。
1955年(昭和30年)には、「藤田興業」グループから、「藤田観光」が独立。以降も組織変更などありますが、現代へ至っています。

参照サイト/関連ページ

十三重の塔(十三重の石塔)
現:文京区=椿山荘庭園内
十三重の塔(十三重の石塔),現:文京区=椿山荘庭園内

現:東京都文京区「椿山荘/ちんざんそう」内の庭園にある「十三重の塔(十三重の石塔)」について。文京区には「十三重の塔」が2搭存在しますが、こちらは現代では民間企業「椿山荘」の所有。
尚 ...

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