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ページ更新日:2019/08/12

初回登録:2019/08/12

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駒塚橋(現:文京区)

駒塚橋(現:文京区)

「駒塚橋/こまつかばし」は現「文京区」3町域(下記参照)に跨る橋。少なくとも江戸時代には架橋され、周辺地区の変化を見守るように位置は変わりませんでしたが、昭和初期に概ね現在位置に移設されています。北側は古くから「椿山/つばきやま」と呼ばれていた高台ですが、江戸時代には「(久留里藩)黒田家」屋敷、明治から大正にかけて「山県有朋」の別宅「椿山荘」となり、大正から昭和にかけて「(藤田観光)藤田平八郎」の東京別宅が存在。
「駒塚橋」は昭和前期(1930年前後)に約200m西方に移設(現在位置)。現在の北側は「水神社/すい・じんじゃ」,「芭蕉庵/ばしょう・あん」、旧位置の北側には1948年から現「椿山荘」が創業されています。
上記地図リンクでは、国土地理院,Googleマップ,アース共に、現代における「駒塚橋」中央域を参照。北側が文京区「目白台(1丁目)」、東側が同区「関口(2丁目)」、南側,西側が同区「関口(1丁目)」、3町域に相当します。


参考画像

※1段目:安政四年:雑司ヶ谷音羽絵図=1857年1月~1858年1月(個人所有) ※2段目:1896年(明治29年)=小石川区古地図(個人所有) ※3段目:1919年(大正8年)=小石川区古地図(個人所有) ※4段目:1936年頃航空写真(Google/国土地理院) ※5段目:1941年(昭和16年)=小石川区古地図(個人所有

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駒塚橋(現:文京区)-1駒塚橋(現:文京区)-2駒塚橋(現:文京区)-3駒塚橋(現:文京区)-4駒塚橋(現:文京区)-5

個人メモ

母校「獨協学園」から最も近い橋。私は1969年4月から1972年3月まで在籍、通学路ではなく帰路(寄り道)のみの利用であり、途中の急勾配な「胸突坂」も下りのみ。私の同級生も帰路のみ使用など、往復での利用者は余り居なかった様です。




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