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ページ更新日:2019/07/28

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神田上水(終点)諸説G

神田上水(終点)諸説G

「神田上水/かんだ・じょうすい」の終点には諸説(下記メモ参照)ありますが、ここでは当サイト仮称「諸説G」に相当する「神田上水懸樋(かけひ)」について「懸樋」は同読みで「掛樋」,「掛ヶ樋」、また別称「万年樋」とも。同跡地は「(初代)水道橋」の東側で発見、厳密な水域は現「東京都千代田区」でしたが、同水域は「東京都文京区」との区境に相当。案内碑は「千代田区」側の土地幅などを考慮、現「文京区本郷」の南(外苑通り)に建造。また「懸樋」の再現を目的として、発掘水域から対岸内陸北東にある現「文京区本郷給水所公苑」で再現しています。
上記地図リンクでは、国土地理院,Googleマップ,Googleアース共に、現「文京区本郷」1丁目にある「神田上水懸樋跡」を参照。


参考画像

※1段目:江戸図屏風=1651年~1657年(慶安三年十二月~承応~明暦三年)/初代水道橋との距離感は誇張 ※2段目:貞享水路図/江戸古地図=1684年4月~1688年10月(貞享元年~貞享五年) ※3段目:1907年(明治40年)古地図 ※4段目:1791年(寛政三年)上水記/上=南北反転,下=上図拡大着色 ※5段目(上中下):上=千代田区の説明看板/1984年3月~2012年9月補修(昭和51年3月~平成24年9月補修) 中/下=文京区の説明看板/1996年3月(平成8年3月) ※1,2,3,4段目=個人所有/5段目=文京区N氏2008年頃撮影

当サイト画像説明色

神田上水(終点)諸説G-1神田上水(終点)諸説G-2神田上水(終点)諸説G-3神田上水(終点)諸説G-4神田上水(終点)諸説G-5

神田上水懸樋(掛樋)

発行年不明ですが、18世紀と思われる「東京通誌」の説明では、「上水ハ関口駒井町ヲ経テ桜木町ニ至リ、陰溝トナリ、小日向水道町,水道橋町,小石川町砲兵工廠に入リ、後楽園ノ背ヲ過ギ、工廠ノ東万年樋(万治年中神田川増鑿ノ時、其上ニ木樋ヲ架シ、万年樋ト云フ)ニ至ル。
長源頭ヨリ砲兵工廠ニ至ル、凡五里二十六町拾五間、潤上流二間ヨリ四間ニ至リ、下流八間ヨリ拾弐間許ニ至ル。大洗堰以下潤三間。
万年樋ハ神田川ノ上ニ架シ、神田区猿楽町ニ入リ、石樋ヲ通シ、神田橋外ニ至リ左折シ、外溝ニ沿ヒ、本町壱丁目ニ至リ、換ルニ木樋ヲ以テシ、各所ニ分脈シ、又支流ヲ設ケ、縦横之ヲ疏通ス。概ネ神田,柳原,両国,浜町,大川端,永代橋以西及神田橋内外,鍛殆橋外ヨリ京橋以北ニ至ルマデ引用セザルナシ。陰樋小石川ヨリ、以下延長拾六里弐拾九町拾弐間ニ及ブ。...(後略)...」

神田上水

終点諸説

「神田上水」は1590年(または数年後の間)に開削。「現:江戸川橋」の東側の暗渠は19世紀末の明治時代から開始、1901年(明治34年)には、飲料水の提供を廃止。
「神田上水」の定義を飲料用水に限定れば、「小石川後楽園」の手前までですが、周辺は歴史的にも改修工事が多数あり難解。
「神田上水」の定義を飲料用水に限定しなければ、「隅田川」合流水域も含め、複数水域に諸説があります。

始点について

「現:江戸川橋」の西側から「旧:神田上水大洗堰」部分は「現:神田川」に組み込み。1933年「旧:神田上水大洗堰」は廃止されますが、地理的な定義は一致しています。

案内看板(共通)

各地域の案内板は一般的に解説地域とは別地域にありますが、「神田上水」に関する案内版は「河川改良」を優先するので、特に著しく移動しています。

神田上水の終焉

江戸末期のコレラ蔓延

江戸時代の上水道は浄水をしない時代。特に「神田上水(別説)」の下流域では複数水域から「水」が流れ、江戸末期の安政五年(1858年)からコレラが発生し江戸に蔓延(毎年継続)。

参照サイト/関連ページ

神田上水
サイト内関連ページ
神田上水,サイト内関連ページ

「神田上水」終点については1970年代以降、工事などにより複数跡地が発見されています。これらは旧江戸城周囲を含め、現「千代田区」で発掘されていますが、保存の難しさなどにより、現「文京区 ...

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