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神田上水(終点)諸説F

神田上水(終点)諸説F

「神田上水/かんだ・じょうすい」の終点には諸説(下記メモ参照)ありますが、ここでは当サイト仮称「諸説F」としている「(初代)水道橋」について。同地域は現在「水道橋の碑/すいどうばし・の・ひ」があり、現「水道橋」より若干西方向。江戸時代には「神田上水」の終点地域の一つともされ、「神田上水」の終焉(下記メモ参照)では象徴的な水域の一つ。
上記地図リンクでは、国土地理院,Googleマップ,Googleアース共に、現「文京区後楽」1丁目にある「水道橋の碑」を参照。


参考画像

※1段目:寛永十九年~二十年/江戸繪図=1642年1月~1644年1月 ※2段目:天保五年~七年/江戸名所繪図=1834年1月~1837年1月 ※3段目:1896年明治29年頃の古地図 ※4段目:水道橋の案内板/上は説明文字拡大(青銅製で制作年など詳細記載なし) ※1,2,3段目=個人所有/4段目=文京区N氏2008年頃撮影

当サイト画像説明色

神田上水(終点)諸説F-1神田上水(終点)諸説F-2神田上水(終点)諸説F-3神田上水(終点)諸説F-4

神田上水

終点諸説

「神田上水」は1590年(または数年後の間)に開削。「現:江戸川橋」の東側の暗渠は19世紀末の明治時代から開始、1901年(明治34年)には、飲料水の提供を廃止。
「神田上水」の定義を飲料用水に限定れば、「小石川後楽園」の手前までですが、周辺は歴史的にも改修工事が多数あり難解。
「神田上水」の定義を飲料用水に限定しなければ、「隅田川」合流水域も含め、複数水域に諸説があります。

始点について

「現:江戸川橋」の西側から「旧:神田上水大洗堰」部分は「現:神田川」に組み込み。1933年「旧:神田上水大洗堰」は廃止されますが、地理的な定義は一致しています。

案内看板(共通)

各地域の案内板は一般的に解説地域とは別地域にありますが、「神田上水」に関する案内版は「河川改良」を優先するので、特に著しく移動しています。

神田上水の終焉

江戸末期のコレラ蔓延

江戸時代の上水道は浄水をしない時代。特に「神田上水(別説)」の下流域では複数水域から「水」が流れ、江戸末期の安政五年(1858年)からコレラが発生し江戸に蔓延(毎年継続)。

東京都の上水

淀橋浄水場:発案

1874年(明治5年)オランダ人技術者「Cornelis Johannes Van Doorn/コルネリス・ヨハネス・ファン・ドールン」が改良計画を提案し、翌1875年(明治6年)には全体の正式計画書を提出。同計画は現(新宿区)における「淀橋浄水場/よどばし・じょうすいじょう」の建設を中心としていましたが、同工事の開始は明治25年(1892年)まで遅れています。

淀橋浄水場:稼働

1898年(明治31年)大部分の工事が完成(日本橋,外神田の両町域は遅れて後年)。「淀橋浄水場」は1965年(昭和40年)3月31日まで、水源地「玉川上水」からの中継地点として稼働。当時の浄水機能は健在でしたが、東京都再発計画などがあり役割を終了。

東村山浄水場

「東村山浄水場/ひがしむらやま・じょうすいじょう」は現(東京都東村山市)において、1960年(昭和35年)8月16日から稼働。1964年から旧「淀橋浄水場」の役割を担っています。

参照サイト/関連ページ

神田上水
サイト内関連ページ
神田上水,サイト内関連ページ

「神田上水」終点については1970年代以降、工事などにより複数跡地が発見されています。これらは旧江戸城周囲を含め、現「千代田区」で発掘されていますが、保存の難しさなどにより、現「文京区 ...

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