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ページ更新日:2019/07/24

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神田上水(終点)諸説E

神田上水(終点)諸説E

「神田上水/かんだ・じょうすい」の終点には諸説(下記メモ参照)ありますが、ここでは当サイト仮称「諸説E」について。水域は江戸初期から存在しますが、当時は「水戸屋敷(現;小石川後楽園など)」があり、利用目的も明治時代以降とは異なりますが、少なくとも飲料水には適さないとされています(諸説あり)。
少なくとも明治時代以降に利用方法が変更され、ここでの「河岸/かし」という定義は「船着場」、名称は経営者「岩瀬市兵衛/いわせ・いちべえ」に因んでいます。1875年(明治8年)から、1933年(昭和8年)までとされ、「日本陸軍」関連の物資輸送を主要業務とした時期に限定している様子。1930年代に同業務は関西以降に移転したとされますが、河岸範囲の変遷,周囲環境の変遷など詳細は不明(異なる資料複数)。
上記地図リンクでは、国土地理院,Googleマップ,Googleアース共に、現「文京区後楽一丁目」にある「市兵衛河岸の碑」参照。


参考画像

※1段目:貞享水路図/江戸古地図(1684年4月~1688年10月)=初期同水域(地理的には一致) ※2段目:1896年(明治29年頃)古地図 ※3段目:1919年(大正8年)古地図 ※4段目:遅くとも1930年代の周辺写真(日本陸軍など/当時の最大利用目的)=撮影者不詳(日本ウィキペディア) ※5段目:1941年(昭和16年)の周辺環境 ※6段目:案内看板:文京区N氏撮影 ※1~5段目地図など個人所有

当サイト画像説明色

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神田上水

終点諸説

「神田上水」は1590年(または数年後の間)に開削。「現:江戸川橋」の東側の暗渠は19世紀末の明治時代から開始、1901年(明治34年)には、飲料水の提供を廃止。
「神田上水」の定義を飲料用水に限定れば、「小石川後楽園」の手前までですが、周辺は歴史的にも改修工事が多数あり難解。
「神田上水」の定義を飲料用水に限定しなければ、「隅田川」合流水域も含め、複数水域に諸説があります。

始点について

「現:江戸川橋」の西側から「旧:神田上水大洗堰」部分は「現:神田川」に組み込み。1933年「旧:神田上水大洗堰」は廃止されますが、地理的な定義は一致しています。

案内看板(共通)

各地域の案内板は一般的に解説地域とは別地域にありますが、「神田上水」に関する案内版は「河川改良」を優先するので、特に著しく移動しています。

小石川大下水

小石川大下水

「小石川大下水/こいしかわ・おおげすい」はかつての河川。現代では大半が暗渠されていますが、一般的には現代の東京都「文京区」に存在した河川。上流域を含めた古地図や地域では、別称などの扱いが異なり複雑(下記参照)。一般的に水質は飲料用ではないが、湧水の流れとされています(これも異説あり)。

上流域=豊島区,板橋区

一般的に「豊島区」,「板橋区」では「谷端川/やばた・がわ」と呼称。

文京区:別称

「文京区」では「小石川/こいし・かわ」,「礫川/れき・せん」,「小石川礫川」など。更に同地域の分流では、「東大下水」,「西大下水」などの別称がありますが、必ずしも一定せず混乱要素となっています。

文京区:東大下水

別称「東大下水/ひがし・おおげすい」として、「(文京区)指ヶ谷」における「白山通り」の東側を流れ、河川「小石川」に合流する支流。

文京区:西大下水

別称「西大下水/ひがし・おおげすい」として、「白山通り」の東側を流れ、河川「小石川」に合流する支流。

参照サイト/関連ページ

神田上水
サイト内関連ページ
神田上水,サイト内関連ページ

「神田上水」終点については1970年代以降、工事などにより複数跡地が発見されています。これらは旧江戸城周囲を含め、現「千代田区」で発掘されていますが、保存の難しさなどにより、現「文京区 ...

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