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ページ更新日:2018/10/10

初回登録:2018/10/10

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築地川東支川:江戸~平成

築地川東支川:江戸~平成

現在の東京都中央区で江戸時代前期(17世紀中頃)から開削された堀川。本流から分流し最初の橋梁「北門橋=二ノ橋」から東側に流れ、途中「築地川南支川」が合流、最終的に隅田川に合流する全長約670m。
江戸時代は「木挽町(同時代の最大繁華街)」と隣接、また川の中流域では「現:築地本願寺」の同時代における表門に面したこともあり、川の西側から徐々に隆盛。明治,大正時代は両岸を海軍省関連の施設が広範囲を占めますが、昭和10年(1935年)には「築地市場」が開業(日本橋から移設)、江戸時代以上に庶民に直結した地域として賑わい(築地市場は2018年10月に卸売り部門を終了し豊洲に移転)。
水域は東京都再開発計画に伴い、1960年代に「北門橋」付近から埋立、1998年に地盤を含む埋立が完了。
上記地図リンクでは道路目印が少ないので途中まで、「北門橋」周辺相当の「海軍兵学寮趾」から、「波除稲荷神社」まで(残り約170m)、徒歩ルートで参照しています。


参考画像

※1段目:1861年古地図/江戸時代(個人所有) ※2段目:1876年古地図/明治時代(個人所有) ※3段目:1922年頃の古地図/大正時代の関東大震災前(個人所有) ※4段目:1947年古地図/昭和時代の第二次大戦後(個人所有)=挿入画像は1945~50年頃の航空写真(Google/国土地理院) ※5段目:1974~78年頃の航空写真(Google/国土地理院)

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築地川東支川:江戸~平成-1築地川東支川:江戸~平成-2

築地川東支川の橋

北門橋

「北門橋/ほくもんばし」は江戸時代に架橋。江戸時代は「三ノ橋/さんのはし」、明治時代から「北門橋」ですが、古地図などでは「三ノ橋」表記もあります。
明治時代には現在の中央区愛称「みゆき通り」から、「一ノ橋」=木挽橋(三十間堀川)」、「ニノ橋=采女橋(築地川本流)」、「三ノ橋=北門橋(築地川東支川)」、3橋が天皇「御幸=行幸」に利用された橋とされています。

市場橋

「市場橋/いちばばし」は関東大震災復興事業の一環として架橋。橋は現在の「新大橋通り」の一部、東側は現中央区愛称「波除通り」の始点。

起生橋

「起生橋/きせいばし」は明治時代または大正時代に架橋(木製の仮橋)。地元住民,築地市場関係者に重宝されたようですが、第二次大戦で焼失後に埋立。

魚河岸橋

「魚河岸橋/うおがしばし」は関東大震災復興事業の一環として架橋。第二次大戦で被災後に埋立。

海幸橋

「海幸橋/かいこうばし」は関東大震災復興事業の一環として昭和2年(1927年)に架橋。

安藝橋=安芸橋

「安藝橋/あきばし(読み?)」は江戸時代に無名橋として架橋。明治時代に「安藝橋」と命名されますが、関東大震災で消失。

参照サイト/関連ページ


築地川:全流域=東京の発展/震災復興や戦後復興も交錯
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築地川南支川:江戸~昭和/合引橋~小田原橋(最終名)
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築地川本流=下流域のみ現存/橋は姿や名前を変え道路化
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千早小学校(東京都豊島区立)/母校:1960~1980年代前期
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