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ページ更新日:2018/09/13

初回登録:2018/09/13

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浜離宮恩賜庭園=浜離宮(通称)

浜離宮恩賜庭園=浜離宮(通称)

「浜離宮恩賜庭園/はまりきゅう・おんしていえん」は現在の住所表記は東京都中央区浜離宮庭園(下記簡略史参照)。明治時代の名称は「浜園=明治元年」、「浜殿=明治元年~2年」、明治2年途中から「浜離宮」と改称。また同明治2年(1869年)には、「延遼館/えんりょうかん」として改装された迎賓館が完成しますが、1889年「延遼館」は取り壊し、1883年麹町区で開館した「鹿鳴館」に役割を譲っています。
上記地図リンクでは、現在の「浜離宮恩賜庭園」を参照しています。


参考画像

※1段目:1872年撮影=延遼館(横浜開港資料館~当サイト編集) ※2段目:1876年古地図 ※3段目:1910年古地図 ※古地図は何れも個人所有を編集

当サイト画像説明色

浜離宮恩賜庭園=浜離宮(通称)-1浜離宮恩賜庭園=浜離宮(通称)-2

簡略史

江戸時代

1654年「甲府徳川家=徳川綱重」が江戸幕府より敷地を拝領して海岸埋立工事を開始。完成年不明(1657年古地図では未表記)ですが別邸を建造、通称「甲府濱屋敷/こうふ・はまやしき」などと呼ばれています。後に息子「徳川家宣」が第六代将軍に就き、将軍家別邸に改築され「濱御殿/はまごてん」と改称。
1729年から日本初の「象/ぞう」小屋を有した時代もあり(約13年間)、一方で幕末には海軍施設(幕府海軍伝習屯所)としても使用されています。

明治~大正時代

明治2年(1869年)「延遼館/えんりょうかん」として改装。1883年麹町区に「鹿鳴館/ろくめいかん」が完成するまで、迎賓館としての役割を担っていますが、1889年「延遼館」は取り壊し。以降は皇室御用達の「浜離宮(庭園)」として存続。

昭和時代

大正時代末期の関東大震災(1923年)での被災、第二次世界大戦での戦災などを経て、1945年11月3日から「GHQ(連合軍)」の命令により東京都に下賜、翌1946年4月3日から「浜離宮恩賜庭園」として開園。

参照サイト/関連ページ

浜離宮恩賜庭園=浜離宮(通称)/江戸時代の海岸埋立から:当サイト

浜離宮恩賜庭園=浜離宮(通称)/大正~昭和~現代へ:当サイト

中之御門=江戸城三十六見附/関東大震災消失~2005年復元:当サイト

新銭座橋=浜離宮/汐留川/門などは準江戸見附様式:当サイト

大手門=江戸見附(浜離宮)/別称も南門など多数:当サイト







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