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ページ更新日:2018/08/08

初回登録:2018/08/07

飯塚文雄さんを偲んで

飯塚文雄さんを偲んで

「飯塚文雄/イイヅカ・フミオ」は1940年11月23日東京都生まれ(2003年3月27日死去)。バンジョー,フィドル奏者(カントリー&ウェスタン/コミック・バンド),タレント,ライヴハウス経営者,バンドリーダーとして活動。タレント時代に最も多くメディアに登場していますが、元々はミュージシャン志向、全て音楽活動のためと思われます。私は「小野ヤスシ」さんなどと縁があり、「飯塚文雄」さんとは1970年代後半に面識がある程度ですが、お会いし時の穏健な表情が印象に残り、ドリフターズでは無理をしていたようです。


参考画像

※1段目:ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ時代(飯塚文雄は学生) ※2段目:いかりや長介リーダー時代(継続参加メンバー含む結成メンバー) ※何れもS氏所有を譲受(一部編集)

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飯塚文雄さんを偲んで-1飯塚文雄さんを偲んで-2

簡略史

ジミー時田とマウンテン・プレイボーイズ

立教大学経済学部在学中に「ジミー時田」のバンドに参加。同バンドはカントリー&ウェスタン系バンドとして活躍、他に「ジャイアント吉田」、「名倉あきら」、「東理夫」、「岩倉忠」、「松平直久」などが参加。
尚、同バンドには1961年頃に「碇矢長一(いかりや長介)」が加わり、「ジャイアント吉田」と共に「ドリフターズ」に参加しますが、当時学生の「飯塚文雄」はこの時は参加していません(大学卒業)。

ドリフターズ(飯塚文雄の加入前)

1962年のメンバーとして、「いかりや長介」、「ジャイアント吉田」などが参加。また「加藤茶/かとう・ちゃ」は当時未成年の19歳ですが、活動を限定して参加しています。
正式リーダー「桜井輝夫」は既に事実上マネージメントのみ担当しています。

ドリフターズ加入

「いかりや長介」がリーダーとなり、「加藤茶」、「ジャイアント吉田」が継続参加。「小野ヤスシ」、「猪熊虎五郎」、「綱木文夫」、そして「飯塚文雄」は旧知の「ジャイアント吉田」に誘われて参加。またマネージメント管理をしていたリーダー「桜井輝夫」は正式脱退しています。
学生ミュージシャン出身の「飯塚文雄」は苦労しますが、「いかりや長介」の顔まねなどをしています。

ドンキー・カルテット

結成メンバーとして参加。1967年からベース,ドラム「祝勝/いわい・まさる」が加わり、5人体制での活動を経て脱退(この間もバンド名はカルテットのまま)。

カジュアルズ

結成時期詳細不明ですが、少なくとも1971年まではライヴ履歴があるようです。

リバティベル

1974年新宿区歌舞伎町でライヴハウス「リバティベル」を開店(後年に渋谷区笹塚に移転)。

11PM(水曜日)

1974年から1989年まで。11PM(水曜日=愛川欽也司会)にコミカルなレポーター役などでレギュラー出演。
またミュージシャンとして、複数カントリー&ウェスタン系イベントに参加しています。

参照サイト/関連ページ

ドリフターズ
サイト内関連ページ
ドリフターズ,サイト内関連ページ

最終的にはコミックバンド,コントグループとして大成功する日本の「ドリフターズ」の関連ページ。

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ページ更新日:2019/01/06




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