第23回:千早/ちはや

千早,ちはや

現在「千早」の付く市区町村は全て漢字表記。大阪府唯一の「村」地域である「大阪府南河内郡千早赤阪村」に多数、他に「東京都豊島区千早」、「福岡県福岡市東区千早」、「福岡県糸島市千早新田」などがあります。また市区町村名以外では、日本の名城100選「千早城 (跡のみ)」、旧海軍の船舶名「千早」、海上自衛隊の船舶「ちはや」、枕詞「千早振る」、神事装束「千早:襅」、なども知られています。

当ページデータ:2017/03/03(日本郵政更新データ使用)

当ページ更新日:2017/03/03


大阪府南河内郡千早赤坂村

1956年9月30日に「千早村」,「赤阪村」が合併して誕生。「千早村」は鎌倉時代末期の「楠木 正成」による「千早城」でも知られ、「千早城」は1332年築城、1392年落城、現在は城跡が残存しているのみですが、日本の名城100に選出されています。
尚、「千早城」の周囲には、旧千早街道、現存する千早川があり、何れが地名由来であるかは不明です。

東京都豊島区千早

概要
元々は「長崎東町」の一部とされ、正式な町名としては1881年「長崎東町1,2丁目」,「長崎仲町1,2丁目」,「千川1~3丁目」、各一部を併せた町域「千早町」として成立。1989年に町名を「千早」に変更、一部が「西池袋4,5丁目」,「長崎5丁目」に変更されています。

諸説:1
現在は確認できませんが、「千川上水」の「長崎分水」から「谷端川」への流れが速いことに因み、「千速」から転じ「千早」とした説。

諸説:2
「長崎神社」,「金剛院」などの神事に因んで、「神」に通じる「千早」とした説。

諸説:3
「豊島区長崎」は鎌倉時代に「長崎氏」の領地であり、同氏が「鎌倉幕府」軍として戦いに臨んだ大阪府「千早城」に因んだとする説。

当サイト推測
「諸説3」については、当時不成功に終わった相手の「城名」を地名にすることは考えにくく、単純に「名城」として補足したと思われますが、疑問符が残ります。

福岡県福岡市東区千早

1941年に「糟屋郡多々良村大字千早」として新設され、当時は博多湾東側「香椎潟」の埋立地に相当。その後に周辺と併せて再編成され現在は福岡市に編入。旧「多々良村大字千早」の一部、及び「御幸町」,「名島」,「香椎」,「松崎」で成立しています。

福岡県糸島市千早新田

旧「加布里村」の一部。「加布里村」は遅くとも1889年「町村制」施行時には存在していますが、その後の変遷など詳細は不明です。

参考画像

左:近代装束としての千早(ウィキペディア)
右:千早城の模型(ウィキペディア)

▼参照サイト

千早赤阪村/ちはやあかさかむら:ウィキペディア

大阪府南河内郡千早赤阪村千早/千早城跡地:Google Map (地図)

千早 (豊島区)/豊島区の地名:ウィキペディア

長崎/特集ページ:当サイト

千早 (福岡市)/ちはや:ウィキペディア

糸島市/いとしまし:ウィキペディア

千早城/ちはやじょう:ウィキペディア

千早 (衣装)/ちはや:ウィキペディア

千早振る/古典落語:ウィキペディア

千早振る/枕詞:Goo辞書


姉妹サイト

  • 日本の島々
  • HP制作ヒント&PCニュース
  • 電話番号検索&国際電話情報
  • 日本・世界の伝統色&ウェブカラー
  • 洋楽データベース
  • MyAdviser専門家検索
  • Copyright © 検索エンジンJapanPost
    ページトップへ