第19回:御免,後免/ごめん

御免,後免,ごめん

日本語としての「ごめん」は鎌倉時代から使われている様ですが、現代に至るまで意味も推移しています。現在2地域に地名として残り、「福島県田村郡三春町御免町」が16世紀、「高知県南国市後免町」が17世紀に成立したとされています。

当ページデータ:2015/08/01(日本郵政更新データ使用)

当ページ更新日:2015/08/01


日本語としての御免

「御」は尊敬の接頭語、「免」は「許す」の意味を持ち、鎌倉時代には「許可する人」を敬う意味が主流。室町時代以降は「相手の許しを求める」,「許可された権利」,「所有を許可された物」など意味が加わり、江戸時代以降においては「拒否,拒絶」の意味、または「相手に非礼を詫びる」意味も加わっています。
「御免蒙ってお邪魔しますよ」,「御免蒙って失礼しますよ」など「相手の許可」を得る場合、また「二度と御免蒙る」など「拒否」を意思表示する場合など、複数の意味で使用される場合もあります。

福島県田村郡三春町御免町

中世以来、三春は紀州熊野新宮(現:和歌山県新宮市)の荘園「田村庄」の一部であり、守山(現:郡山市田村町)が中心地域でした。1504年「田村 義顕」が三春大志田山に居城を移したとされ、以降は三春が田村地方の中心地域及び城下町として発展。
また1339年安積郡福原に建立とされる「福聚寺/ふくじゅうじ」がありますが、同寺院も1504年に「田村 義顕」が菩提寺として三春に移転。
「田村 義顕」による一連の行動が寺社勢力に許可されたことが「御免町」の由来とされ、福島県指定重要文化財の「田村氏掟書」に記述があるようです。

高知県南国市後免町

元々「土佐国稲吉村」の一部でしたが、1588年の「検地」で「長宗我部氏」一門の「広井氏」所領地となっています。当初は荒地でしたが、「野中 兼山」が執政期(1648~1652)に改革を実行。味噌や麹などの生産及び取引などを貢租御免(年貢無しなどの特権)を与え、商人たちの移住も推奨したことが地名由来となっているようです。地名は「稲吉新町」から「御免町」、1700年前後に「後面町」となり、近代になって「後免町」に変更されています。

▼参照サイト

福島県田村郡三春町御免町/なんこくしごめんまち:Google Map (地図)

高知県南国市後免町/たむらぐんみはるまちごめんまち:Google Map (地図)

福聚寺 (三春町)/ふくじゅうじ:ウィキペディア

御免/ごめん:Goo辞書

三春福聚寺の桜/写真1:Google:フォト

三春福聚寺の桜/写真2:Google:フォト






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